痛み記録2

鈍痛の波の振り幅が再び大きくなり、神経取ってる割に痛すぎだろうこれは、という域に達したので、休診日ではあったがダメでもともと、かかりつけの歯科医院に電話をした。せめて専門家の気休めでも聞けたらいいなという気持ちだったけれど、常駐のスタッフに窮状を説明すると、急患扱いで院長先生に診てもらえることになった。

先日担当してくれた先生は治療過程を逐一説明してくれたけれど、院長先生は黙々と作業を進めるタイプで、結局僕の歯の奥が今どんな状態になっているかはよく分からなかった。「大がかりな治療の痕はいわば傷みたいなものなので、ある程度痛むのも仕方ない、痛みとそれを感じる期間には個人差がある」とのこと。たくさん痛み止めを出された。

治療後に麻酔が効いている間はものすごく快適で、痛みのない生活の美しさを実感することになった。本当にもうなんでも上手くいく気がする。痛みのない改革は改革ではない、そう言ったのは小泉元首相だけれど、恒常的な鈍痛を目の前にすると、この痛みをとってくれたら改革なんて後まわしでいいや、と思ってしまう。そうして日本の政治は腐ってきたのだ。そもそも……

違う。何の話だったか。痛みについてだ。「痛むのはしかたない」としても、麻酔が切れてからもこのまま無痛である可能性だってあるのでは、と僕はどこかで期待していた。恐れ多くも医院の長たる院長先生にその辣腕を揮って頂いたのだ。しかし、無感覚の靄が晴れていくとともに再びじりじりとした重い感覚が戻ってきて、その淡い希望は泡と消えてしまった。なんかこの感じ知ってる、何かに似ている、と思ったら、あれだ。ものっすごく強い敵にミサイルを打ちまくって、「やったか!?」となったけれど、土煙が晴れると、傷一つついてない敵が微笑みを湛えて立っているパターンのやつ。対峙する敵の強力さと絶望感を視聴者に強く印象付ける演出。怒涛の攻撃をおこなった側は「なっ、何だって…!?」と驚くのが常だけれど、僕もまあだいたい同じような気持ちである。

次回の治療は月曜日。治療箇所が疼くのが怖くてアルコールを控えていたけれど、昨日ちょっとビールを飲んで、飲んでも飲まないでも痛み自体に変化はないことが分かったから、今日はもう、普通に飲む。アルコール消毒である。

痛み記録

年明け早々左前歯の根っこに風を感じるようになった。昨年中に粗方駆逐したと思っていたが甘かった。虫歯である。冷たい飲み物はもちろん温かな食べものさえ染みるようなり、しまいには何もせずとも常時痛みが荒い脈を打つようになった。不快な痛みは集中力を根こそぎさらっていく。痛み止めを服用しつつなんとかごまかしていたけれど、ズキズキの周期がどんどん短くなっていき、先週の金曜日、ついに我慢の限界がきた。朝一で近場の歯科医院に電話をかけると、運良く予約キャンセルがあったとのことですぐに飛び込むことができたが、新規営業の電話は毎回かなり躊躇するのに、痛みに尻を叩かれるとこんなにも行動的になれるのだなと思った。背に腹は代えられないというか、病院も歯科医院も、顧客を純粋に痛みから解放する商売は儲かって当然、という気がする。人間は痛みの解消を最優先に動くしお金もそれなりに払う、そうしないとやっていけないからね……。

レントゲンを撮ってもらってちょっと削ってみると、「ああ、これもう直前まできてるって感じなんで、痛いわけですね」と診断され、結局神経を抜かれることになった。「神経抜きますよ」「はい」というやりとりだけで、その日初めて出会った人間に、本来身体の奥底に大事にしまわれているはずの部位が抜かれる。現代社会はやばい。

クイックな治療でも痛みがちゃんと消えれば何も文句はない。しかし、残念ながら火曜日になった今日までずっとなんか痛い。我らがインターネットによると神経を抜いて一週間くらいは断続的に痛みが続くことがあるそうだ。治療後に貰った鎮痛剤は早々に飲み干してしまったのでバファリンロキソニンで急場を凌いでいる。一時の隙間風的なものすごい痛みはなくなったし、日を追うごとに痛みの頂上は低くなっている気がしないでもないのだけど、神経が絡む痛みは何かしら不安が残るので、とにかく早く完治させたい。新年からやる気が削がれて悔しい。

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年末は3日連続飲み会のあととどめにゴルフがあって年内の最後のちからを絞り切った感があった。大晦日は午前中部屋を片付けてゴミをたくさん捨ててシャツに7枚アイロンをかけ、昼食に蕎麦を食べて早い時間からビールを飲みつつおでんの仕込みをし、紅白を見て初詣に行って甘酒を飲んで帰って寝た。よく考えたら年越しの瞬間を実家以外の場所で過ごしたのは生まれて初めてのことだ。しかしながらみかんを買い忘れたことを除いてほぼパーフェクトな迎春だと思う。

今年は節制の2文字を掲げて頑張っていく。1日1000円以下で過ごす。

本年もよろしくお願いします。

12月の読書

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二度はゆけぬ町の地図 / 西村賢太

城の崎にて・小僧の神様 / 志賀直哉

少女地獄 / 夢野久作

袋小路の男 / 絲山秋子

ラジ&ピース / 絲山秋子

雑文集 / 村上春樹

キミトピア / 舞城王太郎

7冊。絲山秋子面白かった(性格悪そうだけど)。他のも読みたい。志賀直哉夢野久作あたりの文章を読んだ後舞城王太郎読むと日本語は日々進化してるなと思う。

甘味処

連休、美術館へは行けたものの星はあいにくの空模様だったため延期になった。浮いたガソリン代で回転寿司を食べ、翌23日の夕飯もシャンパンを買ってピザを取ったので、ここ数日のエンゲル係数は大変なことになっている。年末まで会社にはおにぎり持参で過ごすことも検討しなければならない。なんていいつつ今日の昼はラーメンを食べてしまったのだけど。明日からはなんとかしたい気持ちである。

外回りの途中休憩がてらコンビニの外でコーヒーを飲んでいると、すらっとした綺麗なお姉さんがやってきて僕の隣で煙草を吸い始めた。見ると髪の毛にいくつか綿毛か何か明らかなゴミがついていて、ものすごく目立つ。お姉さん髪にゴミついてますよ、と教えたけれど、どうにも要領を得ないので摘まんで取ってあげた。ゴミのつき方が傍目にもちょっと恥ずかしい感じだったので思わず声をかけてしまったのだけど、あーこれ痴漢もしくは雑なナンパととらえられかねない…ごめんなさい…と手を伸ばしながら思った。もちろん日々の営業活動で培われたスマートな声のかけ方だったし、僕の身なりはスーツにネクタイだったし、そこから無駄に会話を続けようとかの下心も全く働かなかったので、すみませんありがとうございます、このままうろうろしてたんで恥ずかしかったー、いえこちらこそ、なんかすみません、それでは…って感じでやりとりは終わった。紳士である。

でも、でもっていうかなんというか、いや、ゴミを取っている最中の話なのだけど、お姉さんが僕に向かってちょっと背伸びして、軽く目をつぶっていたのが良かった。ただなんか、うん、その、すみませんすごく良かったです。

星降り

会社のカップ自販機はいわゆる「当たり付き」というやつで、一定の確率でドリンク代が返金される仕様になっている。今日は午前中にそれが2回当たって、その時点でもう今日の仕事は終えたなという感じだった。

土曜日は得意先のほとんどが休業しているので外回りはせず、会議やミーティングがない限り机周りのこまごました仕事をすることになっている。見積もり書を整理したり単価変更の社内向け書類を作ったりして1日が終わる。運送業者の集荷のために誰か1人受付をしないといけないという話になって、帰宅後特に用事のない僕が残ることになったのだけど、年末の週末の運送屋さんは忙しすぎてまさに終末みたいな顔をしていて気の毒だった。無事集荷も終わってさあ帰ろうかと思っていると、社長夫人が生みたて鶏卵をたくさん抱えて会社に滑り込んできた。なんでも懇意にしているニワトリ農家から直接買い付けているそうで、月に1度そこかしこに配り歩いているらしい。遅くまで御苦労さまと、僕にも2パック分お裾分けしてくれた。2パック。当たる日は当たるもんだなあと思う。宝くじを買って帰っても良かったかもしれない。

明日は昼間美術館に行ってから美味しいご飯を食べ、少し遠出して夜通し星を見る。クリスマスの予定に美術館と星って結構渋いっていうか大人って感じがしませんか? うん? あれ? そうでもない?

蝋の城

随分前の話になるけれど当時付き合っていた彼女にmamくんは私がいなくてもきっと楽しく生きていけるね、と言われたことがある。そのとき僕がどう答えたかは思い出せない。何度か同じようなことを言われた気がするからその度にそんなことないよ、とか、そうかもね、とか適当に返したのではないかと思うけれど、今考えたらそんなわけないじゃないかと思う。だってそんなわけないじゃないか。じゃあなぜそんなことないのか、と訊かれたら僕は返答に窮してしまう、上手く説明できないけどそんなことないと思う。彼女はその頃からもうある程度僕に見切りみたいなものをつけていたのかも知れない。今となってはなんだか他人の話のように思える。のだけど、最近なぜかよくそのことについて考える。

話は変わって僕は花を育てる天才である可能性が出てきた。冬のさなかとは思えない。

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国語の教科書で読んだよしもとばななの「みどりのゆび」を思い出す。みどりのゆびを持つ人間は世界中のどんな場所でも美しい花を咲かせることができる。