星の海

福島までの出張は途中で東京の取引先に寄るために新幹線を使うことになった。在来線岡山駅まで出て、改札の傍のキオスクで慌ただしく土産を買った。店員が領収書の発行に手間取ったために新幹線のホームに着いたのは発車時間の三分前だった。自由席車両の乗客の列は既に二度ほど折り返されていて、東京まで立ちっぱなしは流石に辛いなと思ったけれど、蓋を開ければ車内はガラガラだった。車両の中ほどにある三人掛け座席の通路側に座った。
目的地まで3時間半、スマートフォンをいじる、小説を読む、音楽を聞く、眠る、選択肢はたくさんあったが、膝にかけた仕事用のコートに毛玉が無数にくっついていることに気づいたので、とりあえずそれらを取り除くことにした。改めて眺めると、よく今まで気にならなかったものだと自分で感心するくらいコートは毛玉だらけだった。散らばる小さな毛の塊は柔らかい束状のものから硬く爪の先で毟らねばならないものまで形状は多岐に渡り、その数は無限だった。摘んでも摘んでも毛玉はそこにあった。毛玉取りの作業に終わりなどなかった。終わらせることはできるけど。
真っ黒なメルトンにしがみつく白い小さな毛玉たちはさながら大宇宙に浮かぶ数多の星々のようで、いつしか毛玉取りに没頭していた僕の指先はアストロナッツ状態、いや、星屑惑星小惑星をその指に摘み集めているのだから宇宙の全能神といえば良いか、よくわからないけれどとにかく壮大な気分になった。
夜空の星を眺めるともなく眺めていると、視界の端に薄く、小さく光る星がある。はっとして視線の焦点を合わせると、そこには何やら星のようなものが、あるようなないような、目を凝らせば凝らすほど光は闇に溶けていって、そもそもそこに星なんかあったのか……? というような経験、おそらく誰にもあるのではないかと思う。黒いコートは夜空であり、毛玉は星なので、毛玉取りの作業においても上記と同じような「光の見失い」は頻発する。目の前の宇宙そのものに目が眩み、既にたくさん毛玉を取ったという事実だけが指先の感覚に残ると、本来なら摘まれて然る毛の塊も簡単に看過されてしまう。あれ…これは…毛玉……? いや…でも元からこんなだったような…?  
そんなときは一度目をつぶるといい。瞼の裏に広がる自分の中の宇宙に目を向け感覚をニュートラルに戻す。第三者的な視線を意識する。目には目を、宇宙には宇宙をぶつける。瞼を開けると、なんということだろう、毛玉のビッグバンが広がっているではないか。勘弁してほしい。

漆黒の海で星を摘み取る作業は結局新大阪に至るまで続いたが、新幹線の車内で3時間ひたすらコートの毛玉を取っている人間の人間的なつまらなさに気付いてはたと手が止まった。
コートは心なしか軽くなったがそれなりに綺麗になって良かった。東京は寒い。