痛みと紛失について

6度目の歯医者。

神経を治療した部分がまだ不安定なので、今後も当分通院が必要だそうだ。歯の根の奥の部分をゆっくり広げて完全に薬が浸透するようにしてから、やっと本格的に塞げるようになるらしい。先生曰く「万が一痛くなったら自分で仮の蓋を外してください、外せばすぐ痛みが逃げますんで」とのこと。そんな緊急脱出みたいな応急処置方法があるのか。初めて見たけど詰め物の実物は楔みたいだった。

 

昨日は職場の大事な鍵を失くしたとのことで、彼女がかなり焦っていた。

これは僕がずっと感じていることなのだけど、「ものを失くした時のショック、焦り」と「見かけではわからない、目立つ外傷のない痛み」、この2つは、それを被っている当の本人の感じている切実さが、周りの人々にはなかなか伝わらないというか、軽視されやすい。当人と周りの温度差が大きくなりがちだと思う。

A「○○失くしちゃって…今探してるんだ…」

B「じゃあおれの貸してあげるからそれ使いなよ」

例えばこのやりとり、Bさんは一見優しいのだけど、Aさんが問題にしているのは「今○○が使えない」ことではなくて「自分の○○がどこかにいってしまった」ということだったりする。僕はよくものを失くすので、こういう場面に遭遇して「ありがたいけどそういうことじゃないんだ…!」と思うことがよくある。

痛みについても同じで、周囲の人間にそのままの痛さを伝えるのがとても難しく、例えば「歯がすごく痛い」という言葉と、実際にその瞬間に感じている痛みとの間に、かなり距離ができてしまうことがある。周囲の人間には「なんだよ歯痛ぐらいでーちゃんと歯磨けよー」くらいの反応で受け流されてしまって、お前らそんな軽く見ているけど今この瞬間に僕とボディチェンジしたら痛みで悶え苦しんで絶対早退するからな、それぐらいの痛みだからな実際…、みたいに思うことも、今まで幾度となく経験してきた。

こういうのが積み重なると「結局他人は他人、最後に頼れるのは自分だけ…」って感じで思考が諦めに傾いてしまうのでよくない。

というわけで、僕は「痛みを感じている人」と「ものを失くしている人」には、普通に困っている人へ接するときの2倍くらい親身になることを心がけている(普通に困っている人、というのがどんな物差しなのか自分でもよくわからないけど)。まあ所詮他人なので、倍を意識してもたぶん当人の切実さには全然足りない。しかし痛切に困っている、苦しんでいるのにそれが伝わらないのは悲しいし、他人なんか頼ってられるか、という考えに至るのは寂しいことだから、「周りの人間」の側になったら出来る限りのことをしよう、と思う。

今回も一緒になって探して探して、鍵は結局彼女の職場で発見され事なきを得た。

見つかって本当に良かった良かった、と2人で喜んだ。