ディスコ

昨日は会議の後会社の忘年会があり、今日は高校の頃からの友人Uに誘われFear,andloathinginLasVegasとTheTelephonesの2マンライブを見、ラーメンを食べて立ち飲み屋で飲んで帰ってきた。忘年会はまさに無礼講という感じでとても面白かったし、まったく予習していなかったライブも踊らないともったいない感じで良かった、シンセサイザーは素晴らしい楽器である。

ラーメンを食べながらUと話して盛り上がったのは「こちらがユーモアを含ませようと意図を持って発した言葉が向こうに伝わらなかったときの気まずさと、どんなに頑張っても『おかしみ』みたいなものが伝わらない相手はいて、多分それはこれまで身を置いてきた環境が自分と違ったのだからある程度割り切らないといけない」ということ、そして「彼女にする女性は最低限ユーモアの水準が(映画を見ていて必ず同じところで笑う、なんてベタな高望みはしないにしろ)同じくらいでないといけない」ということだった。

もちろん自分たちが100%面白いとは言わないけれど、これは面白いんじゃないかな、と放ったボールが虚空に消えていくのはやっぱり耐えがたいものだと思う。乗りツッコミまでは流石に要求しない、「ああ、今のこいつの発言はこういう意図があるんだな」というのを理解してくれるだけでいい、つまらなかったらつまらないと言ってくれても全然いい、こちらの思惑が確かに伝わっているんだということを示してさえ頂ければ。でも世の中にはそういう形而上のキャッチボールが難しい方々も居るので、どうしたものかな、という感じ。おい僕らは何様なのだ、という思いもあるけれど、この人とはちょっと合わないな、という気持ちの源泉を辿れば、そこにはユーモアの感じ方の相違があるんじゃないだろうか。年をとって、たくさんの人々と関っていくとそういう違いがどんどん目につくようになる。自然と他人に対する好き嫌いが多くなってくるけれど、それはすこし寂しいことなのかもしれない。

立ち飲みはいつも行くところに行った。おじいさんかおじさんしか居ないはずの空間にマダムと呼んでも差し支えない方がいらっしゃって少し談笑した後、「若くて可愛いから」という理由で瓶ビールをごちそうになる。これからも出来るだけ若く可愛くありたいと思った。ビールが貰えるから。