デルタフォース

最近すっかり涼しくなったしランニングを再開した。というのもきっかけはそれだけではなく誕生日プレゼントに念願のランニングシューズを貰ったのだ。ナイキのフリーラン+3。信じられないくらい軽い。靴底に大胆な切れ込みが入っていて、足の裏のカーブに沿ってぐにゃりと曲がる。

ナイキの靴は良い。

中学生の頃、周囲の男子たちが色気づいてナイキにコンバース、プーマそしてアディダス諸々カッコイイスニーカーを買い求める中、僕は母の買ってくるムーンスターのジャガーという運動靴(スニーカーではない。「運動靴」)をかなり長い期間履いていた。僕が服装や容姿に対して自覚的になったのは結構遅めだったから、当時は身に着けるものを自分で選ぶという発想がなく、母がせっかく用意してくれるものに文句をつけるのは気が引ける、という気持ちもあった。1足のジャガーを履き古すと母がまた新たなジャガーを買ってくる。ファッションに対して物心ついてからはピカピカのジャガーに何とも言えない恥ずかしさを感じて(白すぎる)、新品が玄関に用意されているのを見るにつけ早く汚れないかなあと思っていた。

「自分たちと違う」ということに目ざとい、思春期の少年たちが僕のジャガーをバカにし始めてからしばらく経ったある日、友達の1人の履くナイキのエアフォースワン白×白の限定素材バージョンが格好良すぎて本当に羨ましくて、でも母はジャガーを買ってきてくれるしそれを無碍に断るわけにもいかないし……という袋小路ともいえない袋小路に入った僕は、緊急的な措置としてインターネットショップでスニーカーを舐めるように眺めるようになった。コンバースのワンスター、オールスター、ジャックパーセル。アディダスのフォーラム。ナイキの靴はやっぱり別格で本当に何時間でも眺めて居られた。エアフォースワン、エアジョーダン、ダンクSB……。インターネットに広がるスニーカーの海を潜るのは渇望に彩られた素敵な時間だったけれど、同時に切なくもあった。

こういう喜劇的悲劇のパターンなのかもしれないが、僕の母は僕がジャガーを気に入って、しかも尋常じゃない気に入り方をして履いているのだと思い込んでいた、というのが真相としてあった。僕はただ一言母に「ジャガーじゃない靴が欲しい」と言えば良かったのだ。実際に僕が勇気を出してそう口にした後、母は僕のファッション方面への自意識の萌芽に対してむしろちょっと嬉しそうだった。

紆余曲折を経て手に入れた初めてのナイキのスニーカーはエアフォースワンのミドルカットの黒×黄、今でも大切に靴箱に入っているし、服装の系統の問題で普段履きしなくなってからは今までのランニング用シューズとして活躍してくれていた。そういう経緯もあって僕の中でナイキのスニーカーというのは特別な存在だ。あ、あと便宜的にジャガーをすごくダサい靴みたいに表現してしまったけれどそんなことはないです。運動靴として理想的な形状と重さをしていると思う。

 

そう、話が完璧に逸れてしまったけど、とにかくまた走り出した。1日置きに5kmくらいが目標。同じアパートの隣の隣の部屋の住人も偶然僕と同じコースを走っているらしい。「駅までの距離がちょうど良いんですよね!」と意気投合した。なんて爽やかな会話だろう、隣々人が可愛い女の子だったら、なんかこう、もっと良かったのだけど。