最初は前傾姿勢

帰宅後近所の公園の外周を走ってシャワーを浴び、夕食を作って皿を洗って、スナックえんどうを塩茹でしたものをつまみにビールを飲みながらこれを書いている。ランニングは昨日から始めた。住んでいるアパートの向かいには大きな町営グランドがあり、家を出て10秒もしないところに緑あふれる噴水公園もある。こんな恵まれた環境に居てなぜ何かしらの運動をしてこなかったのか、昨日今日と実際に走ってみて、今までもったいないことをしていたなと思った。

先日家の外で煙草を吸っていると、いきなり背後から名前を呼ばれた。驚いて振り向くと道の向こうのグランドで、サッカーの練習着を着た中学生くらいの少年と、その父親とみられる2人が地面に線を引いているのが見えた。どうやら少年の名前が偶然僕と同じだったらしい。父親はただ息子の名前を呼んだだけのようだった。2人の声はよく似ていてしかもよく通ったから、少し離れた僕のところまでその会話が聞こえた。少年は自分の足が遅いのを気にしていて、父親が特訓を始めようとしていた。地面に引かれた線はスタートラインだった。

「足がばたばたしているって体育の先生に言われた」

「ちょっと走ってみ」

少年がスタートを切ると、なるほど、という感じで遠目から見ても遅かった。足もちゃんとばたばたしていた。運動に関して体育の先生は大体正しいことを言う。

「最初の10mくらいは前掲姿勢で小刻みに足を動かして加速する、前を見ずにとにかく足を前に出せ」というのが父親のアドバイスだった。忠告を真剣そうに聞いていた少年が再度スタートを切ったけれどやっぱり遅かったし、お父さんのアドバイスを本当に聞いてたのかな、と思うくらい最初から仰け反っていた。父親がコーチする、息子が走る、というのを4、5回繰り返して、しかし少年の走りに改善の兆しが見えなかったために、父親がとうとう業を煮やした。僕はその様子が面白くて煙草そっちのけで道の向こうを眺めていた。あと、アドバイスの度に名前を呼ばれるからちょっと背筋も伸びていたと思う。

「もういい、おれが走るのを見とけ」

威勢よく父親が言った。おお、お父さん走るのか。それまでのアドバイスが本格的だったから流石に注目したのだけど、でも、あれ? 遅い……? お父さんの足は少年とそっくりにばたばたしていた。カッコいいアドバイスをしていた割に残念ながらお父さんの足も遅かった。ああ、遺伝かあ。僕はちょっと切なくなって部屋へと戻った。

僕の走り方も、もしかして父と似ているのだろうか。父と何度か競争したことはあるけれど、そう言えばまじまじとそのフォームを観察したことはない。似てたら似てたでちょっと嬉しいかも知れない、僕と同じ名前の少年の足がもっと速くなるといい、出来たらフォームはそのままで。とりとめもなく、そんなことを思いながら今日は走った。